| 「ハタヨガとの出会い」 北加日本商工会議所掲載 2005年3月
私がヨガを始めたのは、かれこれ15年前。アメリカで遭った追突事故がきっかけだった。外傷はなかったが、体が痺れて正座ができない、気が滅入るなど、心身両面に後遺症が現れた。ジャーナリスト活動の拠点をタイから日本に移して間もなく。分離手術にも立ち会ったベトナムの結合体双生児ベト・ドク取材がライフワークになりつつあったときだった。
なんとか痛みから解放されたい。そう願っても、嘆いても、首の痛みは治まらない。藁をもすがる思いで訪れたヨガの体験教室では、ポーズを真似るだけで精一杯。値段が高かったこともあって、続ける気持ちが起こらなかった。ところが、体験教室の翌日、心なしか体が軽くなっている。半信半疑で、再び、ヨガ教室を訪れと、今度は、最後の亡骸(なきがら)、瞑想の時間に、閉じたまぶたから、不覚にも大粒の涙がぼろぼろこぼれだす。なぜ事故に遭ったのかという恨み、戸惑い、失ってしまった健康への渇望、そんなものが一緒くたになって涙と共に流れだしていくようだった。
ハタヨガを基本とした教室では、アーサーナ(体位法)と共に、ヨガに関するレクチャーも行われていた。「どう生きるか」という問いにヒントを与えてくれ、緊張と弛緩の心地よいリズムで、体を無理なくリラックスさせてくれるヨガは、私の心の懲りをほぐし、健康を取り戻す助けをしてくれた。
そうこうするうち、月日がたって、ある日、導師からお呼びがかかる。「どうですか。教えてみませんか」。当時の私は、取材、執筆、講演のほかに、日本や欧米のエグゼクティブが、ビジネスの現場でクライアントとより良いコミュニケーションを図れるよう促すトレーニングを行っていた。レイキ、キネシオロジー、ヒプノセラピーなど、自己啓発に役立ちそうなワークショップにも顔をだしていたので、とても、ヨガ講師という責任ある仕事を引き受けるゆとりがあるとは思えなかった。
即座に「否」と答えた私と導師の間に沈黙が流れる。逸らせていた視線を導師に向けると、導師はしっかりと私を見ていた。次の瞬間、どういうわけか、気持ちが和み、「ではやりましょう」という言葉が口をつく。
心身ともに、健康になれるヨガのことを伝えたくて、女性誌に「よかよかヨーガ」というコラムを執筆、自らモデルとなって、アーサナの実演をしたのは、このあとだった。
96年に渡米してからは、ベイエリアでいろいろなヨガ教室に出席した。さすがヨガの本場だけあって、インストラクターのパワーは相当なもの。だが、残念なことに、クラスの一部として瞑想の時間が設けられている教室は、ほとんどなかった。過去も、未来もない、ただ、今この瞬間に「在る」自分を感じることができるヨガが懐かしかった。そんな折、日本語でヨガを習いたいという人が現れて、自宅でヨガを教えだす。
もっとも、大学院在学中に、子供が生まれたこともあり、クラスを続けられなくなったことはある。毎朝20分間のストレッチ、好きなときに自作の誘導テープを聴きながら瞑想三昧の境地に浸る。出産前には当たり前だったことが、夢のまた夢。3歳過ぎまで、夜通し寝ない子だったので、必然こちらも慢性的睡眠不足となり、大学院を卒業、全米認定カウンセラー試験に合格、日本経済新聞に「米キャリアカウンセリング事情」の記事を掲載するころには、体力の貯金がすっかり底をついていた。
天井がぐるりと廻るめまいに襲われ、私は、心穏やかに、体健やかに生きることがどれほど大変かということを改めて思い知る。
このコラム連載を機に、バランスと調和のとれた日々を過ごすためにはどうすればいいのか、読者の皆様に、役立つ情報を提供していければ幸いだ。
「吐く息、吸う息」・・・ヨガの基本 北加日本商工会議所掲載 2005年4月
ヨガをやってみたいという人は多い。理由は健康にいいらしいから。確かに、ヨ ガは健康にいい。どんなに体がガチガチの人でも、3ヶ月もすると、それなりに
ポーズが決まってくるし、体がほぐれるにつれ、気持ちにもゆとりがうまれてく る。
たった一回の授業であっても、効果は顕著だ。始める前と後で、体験者の顔元が 確実に変化するのである。やつれていた人の顔がほんのりと上気し、瞳に生き生
きとした輝きが蘇える。ヨガをご指導させていただいていて、一番よかったと思 うのは、その輝きを見るとき。そして、授業の終わりに、「ありがとうございま
した」と全員で合掌、顔を上げた生徒さんが「はあ」と漏らす心地よい吐息を聞 くときだ。
体の柔らかさに関係なく、一回ごとに気持ちよかったと感じることができる。こ れが、一度ヨガを始めると、何年、何十年とヨガを続ける人が多い理由の一つだ
と思う。
ヨガの基本となる腹式呼吸は、やる気さえあれば、どこででもできる手軽な健康 法だ。動脈硬化、ガン、脳卒中、心筋梗塞、胃潰瘍、アレルギーなどの成人病を
引き起こす活性酸素を速やかに除去、免疫力が高まるとともに、余分な脂肪も効 率よく燃焼される。横隔膜が上下することで、内臓マッサージの効果があり、ゆ
ったりとした深い呼吸が、気持ちを落ちつけてもくれる。
会議の前や大仕事が終わったあと、渋滞に巻き込まれているとき、混んだ飛行機 の中で。軽く目を閉じ、吐く息、吸う息に気持ちを向けて腹式呼吸を行うと、そ
の効果が実感できる。
この腹式呼吸を行いながら、ストレッチを行うのがヨガである。体を伸ばすと気 持ちがいいのは、体が喜んでいる証拠。事実、ストレッチをすると、成長ホルモ
ンの分泌が促がされて細胞が若返り、血管を広げるプロスタグランディングとい う物質が、高血圧、通風などの原因となる血管の目詰まりを防いでくれる。
ヨガを始めて間もない人は、体を伸ばすことに気をとられ、呼吸がおろそかにな りがちだ。ぐっと息を詰めて、必死の形相。これでは、上がる効果も上がらない
。筋肉は、息を吐くと弛緩する。吐く息が副交感神経を優位にするからだ。だか ら、筋肉を伸ばそうと思ったら、息を吐く。吐いて伸ばし、吸うときは少し緩め
て、吐く息と共に再び伸ばす。こうすると、自分の体がゴムのように、弾力を持 ちながら伸びるのを体験することができる。
もっとも、頭でわかっていても、慣れないことには体がなかなか応じない。そこ で、指導者が、「息を吐きましょう」と声をかけ、さらに、「一息吐くごとに、
筋肉が気持ちよく伸びていきます。柔らかく、あたたかく。筋肉が伸びていきま す。一息吐くごとに、心地よく伸びていきます」とヒプノセラピーのテクニック
で誘導すると、一人では、とても伸ばせないところまで体が楽に伸び、体験者自 身が驚くことになる。
ヨガは、独学でも十分に効果が得られるが、できるものなら、最初は、よい指導 者について、基礎を学ぶ方がよいだろう。
腹式呼吸のポイントは、息を吐くと、おなかがへこむ。息を吸うと、おなかが膨 らむ。
実際に行うときの手順は次のとうりだ。体を軽くゆすって力を抜く。おへそを囲 むように両手をおなかの上に置く。鼻から全部息を吐き出して、おなかをへこま
せ、おなかの上の両手が、もち上がるように、鼻から息を吸う。おなかが膨らん だら、少し息を止めて、ゆっくりと鼻から二倍の時間をかけて息を吐く。おなか
の上下運動を意識しながら、5回繰り返す。
腹式呼吸のやり方は、拙著「リラックスのしかた」及び、CD「Rainbow」にも収 録されている。詳しくは、サイトをごらんいただければ幸いだ。
「意識の集中・感覚制御」・・・生活の中にヨガを 北加日本商工会議所掲載 2005年5月
昨年末、日本に帰国した際、何年かぶりに古巣であるヨガ教室に参加させてもらった。
呼吸法と瞑想の指導に素晴らしい実力を発揮されていた私の導師は、すでに他界されていたが、後継者となられたご子息が、アメリカから、太陽礼拝のポーズを基本とするパワーヨガを「日本初」の売込みで紹介。第三次ヨガブームの火付け役となり、ヨガ界の貴公子と呼ばれる存在になっていた。かつて京橋にあった教室は、銀座に移転。オウム事件の煽りを受けてヨガが衰退した時期には、生徒さんが一人ということも珍しくなかった当時とはうってかわって、広々とした教室に、30人近い生徒さんが集まっていた。
月日の流れは否定のしようがなかったが、以前と少しも変わらないクラスの流れに身をゆだねていると、かつてと同じように、クラスが終わるころには、安らかな気持ちになることができた。
アメリカでは、正座が苦手な人のために紐やブロックを多用するクラス、高温の部屋で、汗をだらだら流しながら毎回決まったポーズを行うハリウッド生まれのクラスなどが、チェーン店を展開、繁盛している。だが、どこで、どんな「衣」をつけられていても、5千年にわたり脈々と受け継がれてきたヨガの真髄はびくともしない。
ヨガの目指すものは、心の平安である。悟りを啓く手段として実践されてきたヨガでは、動きの中にも瞑想があるとする。一つ一つの動作を呼吸にのせてゆっくりと行い、動かしている部分に意識を集中。「ああ、のびていくのびていく。今、この部分の筋肉が1ミリ伸びて、そこの細胞に、新鮮な酸素を乗せた血液がさらさらと流れこんでいく。細胞が活性化されていく」と思うことで、感覚を制御し、雑念を消し去ろうとするわけだ。
瞑想・三昧の境地に到達するための手段である体位法(アーサナ)は、通常、3回ずつ行う。一回目は、自分のその日の体調を観察するつもりで、恐る恐るためしてみる。二回目は、呼吸にメリハリをつけて、味わうように行う。そして、三回目は、自分自身に挑戦するつもりで大胆に行う。こうして、一つ一つのアーサナをていねいに行っていると、自然に、呼吸が深まって、意識の集中度が高まり、感覚が制御できるようになっていく。くれぐれも、1、2、3と反動をつけて体操のように行わないことが大切だ。
体をねじったり伸ばしたりするので、ヨガには、全身の気の流れをよくし、自然治癒力を高める効果もある。だが、だからといって、ヨガだけやっていれば、健康面は絶対安心とは言い切れない。
私が大学院に入学したばかりのことである。細かな字で書かれた英語の文献を1時間くらい読むと、決まって脳みそがしびれるような感覚に襲われた。毎朝、起き抜けに20分のストレッチを行い、週一回ヨガを教えていたにもかかわらずである。その話を教授にすると、脳に大量の酸素を一気に送り込む激しい運動をしなければその症状は改善されないといわれた。
そこで、大学院の近くにあるジムに行き、アッパーカットやキックなどの動作が入るキックボクササイズをやってみた。汗が流れ落ち、心臓が力強く拍動する。そして、クラスが終わると、確かに、頭の中がすっきり軽くなっていた。これはいいというわけで、ヨガの時間をキックボクササイズにまわしてみたら、今度は、頭の中をやらなければならないことが目まぐるしく飛び交い、気持ちが落ち着く暇がない。
この体験を通して、私は、バランスが大事なのだと肝に銘じた。過激に脳を使うからには、それに見合った有酸素運動と心の健康を保つための努力が不可欠なのである。
大学院を卒業した今は、それほど過激な有酸素運動を必要としないので、ヨガと併行して、週に2−3回、ゴールデンゲートパークをジョギングし、自然の中に身を浸す時間をとるようにしている。
もちろん、心と体の健康を維持するための方法は、人それぞれである。読者の中には、ゴルフが健康法だという方も多いだろう。その日の自分のベストを尽し、一心にクラブを振る瞬間は、ヨガの一点集中、感覚制御に通じるものがあるといえる。もっとも、スコアを競い合い、イライラしなければの話であるが。
「瞑想・三昧」・・・ヨガクラスの様子 北加日本商工会議所掲載 2005年6月
日本でもアメリカでも、ヨガのクラスは、一回90分のところが多い。上級クラスの中には、一回2時間というのもある。じっくりヨガに取り組んでいる人にとっては、90分などあっという間に違いないが、少ない時間でなんとか健康管理をしたいと思っている人には、この90分の捻出が難しい。
そこで、私は、アーサナをじっくりやって、かつ瞑想の時間もそれなりに取れる70分を自宅で提供するヨガ教室の長さに決めた。クラスの流れは、日本で私が通っていたヨガ教室と同じである。まず、つま先から頭部までをゆっくりと動かす準備運動を行い、次に、背骨をしなやかに動かして、自律神経の流れを整えるアンテナのポーズを行う。アンテナのポーズは、天に向かって大きく広げた両手に宇宙との一体感を感じ、流れ込んでくる気(エネルギー)を腹部の太陽神経層に蓄えることで、情緒の安定、内臓器官の正常化、ひらめきの開発を促す体位法(アーサナ)である。
アンテナのポーズを三回行ったら、かかとを開いてその間にお尻を落とし、肩肘ずつついて背中を床に投げ出す英雄座になり、両手をおへそを囲むようにおなかの上に置いて、腹式呼吸をする。準備運動とアンテナのポーズで体が温まり、これから運動を始めるぞという緊張モードが高まってきたところで、呼吸を使って体を弛緩させるわけである。
ヨガでは、緊張と弛緩のメリハリをつけることを重視する。副交感神経と交感神経のバランスが整い、瞑想に入りやすくなるからだ。
毎回同じ準備運動とアンテナのポーズを行い、それから、レクチャー。そして、いよいよ、その日のテーマにあわせたアーサナを始める。体を使い、頭を使い、頭を使ったあとは、再び体を使う。こうして、さらに、緊張と弛緩のメリハリをつける。
アーサナは通常、3〜4つ行う。その難易度に応じて、アーサナとアーサナの間に、両手両足を床にどーんと投げ出す亡骸(なきがら)のポーズをとる。30分連続で体を動かし、10分休憩するよりも、10分緊張、1分弛緩、10分緊張1分弛緩を繰り返す方が、最終的に深いリラックス感を得ることができるからだ。
体がリラックスすると、数十万年かけて進化してきた大脳の知的活動を司る新皮質が静まってくる。同時に、旧皮質に属する間脳の視床下部の血液循環がよくなり、自然治癒力が活性化されて、免疫機能が向上、ホルモンのバランスがよくなる。
ヨガでは、自分を取り囲む大宇宙と少宇宙である自分自身の波長が一致したとき、心身が自然な状態に戻り、本来のパワーを発揮できるという。生命の血液が、酸素原子、炭素原子、鉄原子など、宇宙と同じ成分でできていることを考えれば、人間が小宇宙であるという考え方に無理はないといえるだろう。
呼吸にのせて体をのばすアーサナを行えば、気の流れがよくなり、体の調子が調う。さらに瞑想を行うと、日常生活のさまざまなストレスで、乱れを生じていた心が浄化されていくというわけだ。
瞑想に適した時間帯は、太陽が万物に活力を与える早朝、一日中でもっとも強烈なパワーがあるとされる正午、明日必ず昇る太陽の無限の生命力に身をゆだねることができる日没、そして、静の気が支配する深夜だといわれる。体を締め付けないゆったりした服装で行うのがベストなので、仕事中なら、こっそりベルトを緩めたり、靴を脱いでみるのもいいだろう。食事や入浴の直後は、リラックスしすぎて集中できないので、避けた方がよい。
女性ばかりの私のクラスにはさすがにいないが、日本でヨガを教えていたときには、瞑想が始まって数分もしないうちに、グーグーいびきをかいて寝てしまう人がいた。アーサナで張り切りすぎて、亡骸(なきがら)のポーズでリラックスすると同時に、体が休息モードに入ったためである。瞑想時の脳波は、α
波(8〜13Hz)。思考活動をしているときのβ波(14〜25Hz)と浅い眠りθ波(4〜7Hz)との中間だ。
自分にとって最適な緊張と弛緩のバランスを体得するのも、ヨガを行ううえでの課題といえる。 緊張と弛緩の適度なメリハリは、日常生活にも役に立つ。
のんべんだらりと暮らしていれば、夜になっても眠くならないし、がむしゃらに働いてばかりいれば、夜まで緊張状態が持ち越され、疲れているのに眠れない。
睡眠は健康の基本である。継続は力なり。まずは、緊張と弛緩のバランスをとろうと決心することから始めたい。
「禁戒、勧戒」・・・ヨガで心も健康に 北加日本商工会議所掲載 2005年7/8月
東南アジアでの取材体験を、東京の高校で話していたころのことである。顔なじみになった女子学生から、「彼に、過去を打ち明けるかどうか悩んでいる」という相談を受けた。援助交際という言葉がまだなかったころのこと。17、18歳の高校生にどの程度の「過去」があるのかちょっと不思議な気がしたが、真剣な表情で私を見つめている彼女を見ると、こちらも真剣に考えざるを得なかった。
詳しく話を聞いてみると、「過去」を打ち明けずに、付き合えば、彼に嘘をついているような気がするというのが悩みの原因であるらしかった。確かに、過去を打ち明ければ、本人は、せいせいするかもしれない。だが、打ち明けられた方はどうなるか。聞きたくない事実に気持ちが萎えて、楽しい交際ができなくなるかもしれない。
心の負担には、「重さ」がある。愚痴をこぼして気が楽になるのは、愚痴をこぼされた相手が、「重さ」を肩代わりしてくれているからなのだ。
そこで私は、彼女に聞いた。「彼は、今のあなたを好きだといってくれているんでしょう」。女子学生が私の言葉に、こっくりとうなずく。「今のあなたって、過去の集大成よね」。彼女が、一瞬、押し黙る。そして、何度もうなずきながら、「そういう考え方もあるんですね」と答えた彼女の顔には、吹っ切れたものだけが持つ輝きがあった。
ヨガでは、心の悩みを解消し、再び、悩みが生じないようにするための生き方の基本として、禁戒、勧戒を教えている。禁戒は、1)非暴力・不殺生、2)誠実・正直、3)不盗、4)梵行、5)不貪の5つ。そして、勧戒は、1)清浄、2)知足、3)苦行、4)読じゅ、5)神への祈念である。
非暴力の中には、力づくで相手を傷つける暴力だけでなく、言葉の暴力も含まれる。今、日本社会で問題になっているネグレクトは、健全な心の育成のために、親の温かい精神的サポートを必要としている子供のニーズを無視するという点で、不殺生の禁を犯しているといえる。
悩みを相談してきた女子高生の場合は、禁戒の2)誠実・正直の解釈のしかたに問題があったといえよう。彼に対して誠実であろうとし、かつ、そのために正直に「過去」を告白しようとした彼女の行動は、一見、ヨガの教えに従っているようにみえる。だが、ヨガが勧めているのは、他人に対してではなく、自分自身に対して、正直であれ、誠実であれといっているのだ。
サンフランシスコで、20年間ヨガを教えているというヨガ教師が、クラスの中で言っていた。「ヨガというのは、ある意味、自分勝手であることを容認するものなのです」。
自分にも、他人にも、優しくあれることに越したことはない。だが、自分が病気で死にかかっていたり、辛い体験をしているときに、他人の世話を焼いたり、愚痴を聞いたりするのは、身体的にも、精神手にも難しいものである。その事実を認めずに、自分を殺して、他人に奉仕していれば、一時的には、うまくいくかもしれないが、結果的には、共倒れの危機にさらされる。
「病は気から」という言葉を辞書で引くと、「病いは気の持ちようで良くも悪くもなる」と説明されている。だが、ヨガや鍼灸の世界では、文字どうり、気の流れが乱れることにより病いが起こると解釈する。
だから、ヨガでは、まず、自分の気の流れを調え、自分の体を健康にし、心に平安を見出すことを優先する。
気を調える方法として、ヨガでは、5つの調気法の実践を奨励している。調業、調食、調身、調息、調心の5つである。
調業は、先に述べた禁戒、勧戒を念頭に、日常生活を送ること。調食は、自分の体質にあった食生活を送ること。調身は、アーサナ(体位法)で身体の気の乱れを正すこと。調息は、呼吸法で心身の気の乱れを正すこと。そして、調心は、瞑想法で心の気の乱れを正すことである。
自分を取り巻く大宇宙と小宇宙である自分自身の波長が一致していれば、人間は、心身ともに健康で、息をしているだけで幸せと感じることができるようになる。
満たされた人の回りには満たされた人が集まってくる。一方、不満をくすぶらせ、不平ばかりいっている人の周りには、同じように愚痴をこぼす人が集まってくるのは、読者の方も、体験的にご承知済のことであろう。
「ヨガの効用」・・・チャクラのお話 北加日本商工会議所掲載 2005年9月
書物には、大きく分けて二通りあると思う。流し読みできるものと、何年も手元においてじっくりと読み返したいものである。C.W.リードビーター著、本山博、湯浅泰雄訳の「チャクラ」(平河出版社)は、後者の書物だ。1974年に初版がでたこの本には、タイトルが示すとおり、チャクラとは何かということが詳しく書かれている。「異次元への接点であり・・・、プラーナ(生命力)の中枢である」(訳者序文より)チャクラは、全部で7種類。脊柱の底部、脾臓の上方、臍部・太陽神経層の上方、心臓の上方、咽喉の前部、両眼の中間、頭頂部に位置しており、それぞれ根のチャクラ、脾臓のチャクラ、臍のチャクラ、心臓のチャクラ、眉間のチャクラ、王冠のチャクラと呼ばれている。
ヨガの実習を重ねていると、このチャクラが発達し、生き生きと輝きはじめる。すると、チャクラを通って、宇宙からの巨大なエネルギーが流れ込み、それまでなかった能力や可能性がひらけてくる。超感覚が目覚め、俗にオーラと呼ばれるチャクラの輝きを「見る」ことができるようになったり、宇宙誕生の響きといわれるAUM(オーム)を唱和しているときに、キーンという第4声が目の前をゆったりと回転しながら動いているのが「聞こえる」ようになるのだ。
王冠のチャクラは、仏像の頭頂の盛り上がりやキリストの肖像に描かれている黄金色の輪によって、古くから表現されてきた。心の乱れの原因となる物質界の3つの特性(ラジャス・サットバ・タマス)を超越し、人を空(くう)へ誘う第4声を生じさせるAUM(オーム)は、永遠のものにすべてを委ねるという意味を持つ南無阿弥陀仏(NAUMAMIDABUTSU)にも、「初めに言葉ありき」として記されたアーメン(AUMEN)の中にも含まれている。
インドのヨガには、七つの流派があり、それぞれが、独特のチャクラ開発方法を持っている。
もっとも、「チャクラを目覚めさせるには、確固たる意思と辛抱強い努力とが必要である」(チャクラ、P98)といわれても、見たことも、聞いたこともない世界を体験するために、それほどの努力をはじめからできる人は、そうそういない。そこで、ヨガでは、どんな人でも、早かれ遅かれ悟りが拓けるように、八支則というものを紹介している。禁戒(非暴力・不殺生、誠実・正直、不盗、梵行、不貪)、勧戒(清浄、知足、苦行、読じゅ、神への祈念)、体位法、呼吸法、感覚制御、意識の集中、瞑想、三昧と段階を踏みながら、無理なく宇宙意識との一体化をはたそうとするわけだ。
ヨガを習い始めた当初、事故の後遺症を何とかしたいという即物的な目標達成しか頭になかった私も、毎回毎回、このプロセスを繰り返すうち、「私の知らない世界」の存在を意識するようになっていた。その私の心の持ちようが決定的に変化したのは、導師が、教室の壁に一枚の紙を貼ってからだったような記憶がある。
「何がみえますか」という導師の声で、生徒が順番に紙の前に座り、「あ、みえた」と歓声を上げた。ところが、興味津々、好奇心満々の私には、紙の表面に描かれている縞模様しか見えない。クラスを出たその足で、デパートへ寄り、3Dといわれる紙を購入。アパートのふすまに貼り付けて、毎日、毎日、暇さえあれば、その紙を見つめた。目をうんと近づけてから、ゆっくり離せば見えやすいといわれ、亀のように首を前後に動かしてもみた。一週間たっても、やぱっり縞模様しかみえないと、いい加減、諦め気分になってくる。そんなとき、見るともなく目をやった紙のうえに、貝殻が浮き上がってきた。貝殻の周辺を目で追うと、遠浅の砂浜が奥行きを持って、どこまで続いているのが見えてくる。その驚きと感動は、今でも忘れることができない。
自分の知らない世界が「在る」という認識は、人を謙虚にしてくれる。自分と違う考え方をする人に会っても、いきなり否定したり、拒絶しなくなる。他に対する受容の気持ちが生まれるにつれ、人間関係が改善し、肯定的な人の輪が広がってゆくのである。
ヨガを続けていると、身体が柔軟になるだけでなく、人生そのものに変化が起こる所以だ。
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