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「自己責任もところかわれば」  婦人公論海外女性通信掲載 2005年1月22日

83歳のご隠居さんが、いつもの二倍に跳ね上がっている請求書を見て、電力会社に抗議。推定請求額と実際の使用料の差額を返してもらったという話を新聞で読んだ。記事によると、推定請求書は、メーターの読みとりが不可能な場合に、電力会社が、月々の平均使用料をもとに算出するものだそうで、北カリフォルニアの電力会社PG & Eでは、毎月、顧客の1.2%にあたる約7万家庭に推定請求書を送付。推定請求書を受け取った家庭の半分近くが、件のご隠居さんのように請求書の見直し要求をしているのだという。
日本で、何の疑いもなく公共料金の支払いをしていた私は、この事実にしばし感動した。感動しながら、いつものように郵送されてくる様々な請求書の封を切り、小切手(チェック)を書いていたら、実は、私も、請求書の見直し要求をついこの間、電話会社にしたばかりだったことを思い出す。請求額を見て、高すぎると思ったら、フリーダイヤルに電話をかける。聞けば驚く頭を持ちつつ、やっていることは、すっかりアメリカン。電気、ガス、電話などの公益企業を「お上」と認めず、銀行引き落としの便利さよりも、明細書を自分の目で確認するチャンスを優先するアメリカ社会に住んでいると、知らず知らずのうちに「アカウンタビリティー」が養われていくらしい。
「義務、責任」と訳される「アカウンタビリティー」には、日本語の「自己責任」に漂う孤立感や悲壮感がまったくない。関係者全員がベストを尽くし、生じる可能性のあるミスを防いで、それぞれが最大限の利益を得ようとする前向きなニュアンスのみである。
新聞は、後日、先の電力会社が、意図的に高めの推定請求書を発行しているらしいという後追い記事を報道し、電力会社の現役社員が、記事の中で、自分の会社を告発するコメントを公表した。日本ではまず考えられないこうした現象が起こるのは、「アカウンタビリティー」が、アメリカ社会に浸透した基本的な価値観となっているからだ。
「絶対」に依存していれば、知らぬが仏で楽である。だが、「アカウンタビリティー」が身につくと、いまさら、「絶対依存」には戻れない。ふと目にした新聞記事がもたらした渡米9年目の感慨だ。

 

「かにさん、ごめんね」 あんなこと、こんなこと  2005・1・13

アメリカに住むようになって9年目。日本にいたときと違う自分を発見することがしばしば起こるようになりました。たとえば、請求書を丹念にながめ、時には見直し請求をするようになったこと。(1月22日発売の婦人公論・海外女性通信にも書きました。)いろいろな色が混じった花束を悪くないなと思うようになったこと。 壁の色をベージュ以外にすることに抵抗がなくなったこと。そして、カニをゆでるとき、無条件においしい体験を楽しみにできなくなったこと。うちの近所には、中国系のお店があって、生きたカニが3ドルくらいで買えます。久しぶりに、一匹買ってみました。最初は、生きたものをそのままゆでるのは気がすすまないから、氷の中に埋まっている死後4時間のものを手にしたのですが、その姿があまりにも、がっくりしているので、万一、おなかでもこわしたらと思って、水槽にいるやつを買ったのです。家に帰って、鍋に水を張り、カニを入れました。きれいな水で一心地ついたのか、口の辺りの水が揺れ、お尻の辺りから、あわなどだしています。でも、よくみると、足が一本かけている。

生きたまま、足がもげるって痛かっただろうなあ。ローマの奴隷が、観衆見守る競技場で、当時の人力戦車になぎ倒され、手や足を切り落とされる映画のシーンを思い出しました。そういえば、四肢を紐でつながれ、四方に引っ張られるという刑があったなんてことまで。
ああ、成仏してくださいね。鍋の中でごそごそしているカニをみながら、般若心境を唱え、あの混みあった奴隷船のような水槽から出られたのだから良かったと思ってねと願います。
そんなこといったって、結局食べちゃうんじゃない。と心の声。
でも、あそこの店に、運ばれた時点で、食べられる運命は変えられないわけだから、囚われている身の不自由といつ殺されるかという恐怖から解放されると思えば、救いという見方もできる。と応戦する声。
でも、食べちゃうんだよね。とまた声が。
そんな自問自答で、時間がたって夕食どき。いよいよゆでることになりました。
植物だって、切るぞと人間が思って近づくとびくっと反応すると何かで読んだことがあるので、ゆでるぞという気配を感じさせず、ぱっとゆでた方が苦痛が少ないかもしれないなど、配慮してみます。
とまた、味の点からいうと、熱湯でゆでると身がきゅっと縮んでおいしくないよ。いう声。
とは言うけれど、いくらなんでもじわじわなんて、あまりにむごくてできないわ。と心の声。
どじょう鍋のことを思い出しました。じわじわ熱をかけられて、耐えられなくなったどじょうが真ん中においてある冷たい豆腐の中に逃げ込み、結局、その状態で、出来上がりとなる料理です。
殺すならひとおもいのほうがまだいい。そういえば、遠藤周作の本の中に、キリスト教徒を迫害するため、地獄めぐりの名所となっている高熱地獄に、人間をどぼんとつけ、ひきあげると、骨しか残っていなかったという話しもあったなあ。
ああいやだいやだ。そんな思いを振り払い、カニをつかんで、熱湯へどぼん。
ぱっとふたを閉めましたが、ごそともいいません。きっと、もう半分死んでいたのかもしれません。だったら、きれいな水でほっとしたところで、一生が終わってよかったね。今度は、食べられないものになって生まれておいで。
で、いざ、茹で上がったカニをテーブルへ。でも、食欲がわかないんですよねえ。カニの身をとりだしながら、口に運ぶ気にならない。
思い切って食べたら、確かに、おいしかったけれど、いやあ、おいしかったああというかつての爽快感を伴う満足感がない。
昔、経験と思って、白魚の踊り食いを一回だけではあるけれど食べた私が。
水族館のかつおをみて、うんあれは、おいしそうだ、キロ何万もするだろうなと思ったことのある私が。
まだ、ぴくぴくしているアジの生き創りや、うなぎ屋で、まな板の上に乗せられ、目に桐を突き刺され体をぐにゃとしならせるうなぎの姿をみて、日本人は残酷だと言うアメリカ人に、おいしいのに。と思っていた私が、今、アメリカ人のように、うへー、残酷と思うようになっているのです。
住む場所と環境で、人の感じ方が変わるのか、年齢を重ねて、老病死が、現実味を帯びてきた生なのか。
殺生はしたくないなあ。たとえ、おいしくても。
というわけで、肉や魚を食べなければならない年齢でもなくなってきた今、私は、こうして、菜食傾向になっていくのかなと感慨深く思っている次第です。

 

「どっちが利き手? アメリカの場合」 あんなこと、こんなこと 2004年11月18

今朝、子供の保育園の園長先生と話をしてきました。
話題は、お箸の持ち方。
お弁当の時間に、息子が先生に、「箸は右手で持たなければならない」といったのが、発端でした。

3歳2ヶ月の息子は、左利きの傾向があります。夫が左利き、私は、ペンとお箸は右で、ボール投げは左。息子は私とまったく逆で、ボール投げは、右、ペンとお箸が左なのです。利き手が定まるのは、4〜6歳ごろというし、絵を描かせると、両手に刷毛を持って大創作にかかるので、まだ、左利きと決定したわけではないのですが、保育園では、利き手優先で、書いたり、箸を持ったりの指導をするため、息子の左手使用率は上昇する一方。

私は、子供が生まれたときから、日本語で息子に話しかけてきました。英語をどれだけ上手にこなせたとしても、私自身を表現する言語は日本語だからです。おかげで、息子も私との会話はちゃんと日本語ですることができます。でも、最近、朝起きた途端、いきなり、英語でフルセンテンスを、アメリカ人特有のしかめっ面など混じえながらしゃべりだし、私を面食らわせられることが増えてきました。たしかに、こまっしゃくれた様子は、かわいいけれど、息子が遠ざかってゆくようで、一抹の寂しさを感じずにはいられません。
サンフランシスコで生まれ、家庭で両親が英語で会話をするのを聞き、父親と英語でしゃべり、英語の保育園にいっていれば、息子にとっての第一言語が英語になるのは当然といえば当然なのですが。息子を英語の保育園に行かせるとき、私は、アメリカに住んでいる以上、英語は必須。だから、息子のコア言語が英語になるのは自然の成り行きだろうと譲歩しました。(そりゃ、親としては、自分の子供が自分と同じ思考回路を持ってほしいと思いますもの)でも、人間の脳が、思考を統合するために使うコア言語を一つしかもてない。子供のころ、いくつもの言語をちゃんぽんで使っていると、コア言語が正常に形成されず、コア言語を持たない人は、自分の意見を統合するときに人並み以上の苦労をする。そんなことを聞けば、自分の子供にはしっかりとコア言語を持ってほしいと思います。だから、私は、日本語優先を諦め、日本語付加価値論に譲歩したのです。

でも、だからといって、日本的な価値観を息子に伝える努力まで放棄したわけではありません。
私は、日本が戦争から立ち直り、再生を賭けて昼夜分かたず働いた60年代生まれの人間です。そのせいか、私の中には、一昔前の日本人の美徳だった努力、辛抱、思いやりといった価値観を重んじる気持ちがとても強くあります。

しかし、私たちが住んでいるのは、個人尊重・自己主張の国アメリカ。社会問題なら国の違いで片付けられますが、自分の息子が、アメリカンな振る舞いをするのをじかに見るのは、辛いものがあります。

結局、どうみてもむちゃくちゃにしか見えない息子の行動に戸惑いながら、なんとか、日本人としてのアイデンティーを息子に伝えようとする私は、孤軍奮闘で疲れるばかり。

そんなとき、知人から、「あなたの息子はアメリカンなんだよ」といわれて、妙に納得したことがありました。たしかにアメリカ人だと思ってみると、息子は、実に順調に育っているいい子なのです。
価値観というのは、学習するものなのだという事実を私はこのとき実感し、ならば、私が、親を敬う気持ちや他人を思いやる気持ちを育くんでやろうと意欲と希望を持ったのでした。でも、そうやって前向きになれたのは、つかの間。孤軍奮闘は相変わらずで、無意識のうちに使命感ばかりが先走り、またまた疲れてしまうのでした。

そんな伏線があったので、左利き優先についてどう思うかという園長先生からの問いかけに、私は、暗澹たる気分になりました。今度は、左手優先、右手付加価値論に譲歩しなければならないわけか。
ここはアメリカ、自分の意見は、しっかりと伝えなければならない。でも、どうやったら、私のこのもどかしい感覚をわかってもらえるのだろうか。

世間で、箸の持ち方を知らない人を見ると、母親のしつけが悪いからだと思う私には、たしかに、偏見があると思います。
でも、箸を器用に使えれば、食事がいっそうおいしくできる。だから箸をもってほしい。できるものなら右手で。右手なら私が責任もって、正しいもち方を教えてやることができる。だいたい、日本料理は、右利き用に配膳されるのだし、将来、書道をたしなむようになったら、左利きでは字もかけないではないですか。やっぱり、利き手が定まっていないいまだからこそ、左だけでなく、右手もどんどん使わせたい。会席料理が好きで、小学校のころ、書道でいくつも賞をとった私は、それが自分の人生の役に立ったからという理由で、そう思うのでした。

もちろん、息子は、そんな親心子知らず。私が、箸を持ち出すと、「おはしはきらい」と床に投げ出す始末。英語の保育園で、周りはフォークやスプーンを使う子がほとんどの環境にいながら、大人でも難しい箸の持ち方を3歳になって間もない子供にマスターさせるのは無理があると思います。でも、箸はもてるようになってほしい。いっそのこと、子供が持ちたいという気持ちになるまで、箸を持たせるのは諦めようか。なまじっか、左で持つ癖がついたら、右でもたなくなるかもしれないし。

そんなことを考えながら、保育園に出向いてみると、園長先生が、にこやかに、息子が保育園では、嫌がらずにお箸を持つ練習をしているといいました。左手で。

聞いてみると、先生は、自分自身が左利きで、でも、右手でもお箸が持てるのだそうです。
お母さんが、大きいもの、中くらいのもの、小さいものと達成感を子供に与えながら箸の持ち方を教えてくれたのだといいます。そのころを思い出したのか、けらけら笑う先生を見ていると、学習の基本は楽しさだもんなあと改めて思いました。

園長先生には、私が、左利きを矯正する気持ちはさらさらないこと、ただ、できるものなら右手もつかえるようにしてやりたいことを伝えました。園長先生は、さらに、息子が、お箸でおかずをつきさし、逆手に持って食べることがあるといいました。先生の家庭でも、弟が同じことをしてお母さんに叱られていたのだそうで、その様子を子供だったころの先生は見ながらいいじゃないと思っていたとのころ。だから、息子にも、面白いことをしているねといったのだそうです。

箸を振り回し、食べ物を突き刺し、逆手に持ってかぶりつく息子の姿が目に浮かぶようです。
そんなこんなを話しているうち、私は、自分がいかに先のことばかり考えていたかに気づくことができました。そして、子供には今が一番大切で、今、達成感を抱くことが一番大事だということも。

息子が園長先生のように、左で箸が持てるようになったあとに、右でも箸をもとうとするかどうかはわかりません。それでも、もしかしたら、右手で箸を持つことができるようになるかもしれないという希望は、私の気持ちを軽くしてくれました。

それにしても、先を見ながら慌てず、今を生きる息子にも焦点を合わせる。このバランスの取り方、兼ね合いの難しいことといったら。

園長先生との話を終えて、息子を見やると、寒い朝に、Tシャツを着てきたもう一人の子と袖の長さのくらべっこをしていました。寒いからジャケットを着なさいなんていっても、子供には、子供のやりたいことがあるわけです。

子供は、確実に成長していく。そんな息子に導かれ(ねじふせられ)、私も、親になる修行を重ねています。

 

「アメリカで財布を落としたら」 あんなこと、こんなこと 2004年10月27日

財布を落としてしまいました。子供の靴をはかせるとき、車の上にぽんとおいて、なんとそのまま、発進してしまったのです。
気がついて、引き返したときには、もう赤い財布の影も形もなく、暗澹たる気分になりました。
お金だけでなく、クレジットカードから運転免許証、もろもろのカード類がすべて入っていたのです。
この事態を収拾するのにいったいどれだけの手間がかかることだろう。
通った道を一通り見て回り、車を車庫に戻して、警察に連絡するしかないなと思いながら、ふと郵便受けを見たら、なんとそこにビニール袋に入った財布が、「道路に散乱していたものを拾い集めたので、すべてあるかどうかわかりませんが」というメモと一緒にはいっていました。
電話番号があったので、さっそくお礼の電話をし、どれほど感謝しているかを伝え、直接お目にかかってお礼をしたいと申し出たのですが、その方いわく。
「実は私も、以前、財布を落としたことがあり、誰かが郵便受けに入れてくれていたのです。財布を落としたときの暗い気持ち、よくわかります。でも、私に恩を感じることはありません。同じようなことがあったら、同じように他の人にしてあげてくれればいいのです」
ここはアメリカ、きっともう返ってこないと思っていた私は、その言葉に希望を感じました。
「アメリカにも、まだ善人は残っているとわかってくれればうれしいわ」
拾い主の声に、世の中、まだまだ捨てたものではないと思いました。

 

「アメリカのサービス感覚 あんなこと、こんなこと 2004年7月26日

遅ればせながら、DSLの手続きをしました。

届くはずのモーデムが、DSL利用開始日になっても届かないので電話会社に電話。
明日になるという返事をもらった直後に配達があり、やれやれなんとか今日から使えると喜んだのものの、送られてきたフィルターの種類が間違っていて、ぬか喜び。

アメリカのサービス産業と接しているとこんなことがしょっちゅうです。コンピューターを買ったときなど、3回も商品をやったりとったりしたことがありました。

こういう体験を重ねていると、辛抱強くなってきます。そのうちうちの電話も話中から解放されるのだからと、慌てなくなってゆくのです。

 

「アボカドは救世主となるか」  婦人公論海外女性通信掲載 2004年7月22日

黒緑をした実を半分に切って種をとり、スライスしたアボカドは、醤油を垂らすだけでご飯のおかずになる便利な果物だ。季節をとわず年中市場に出回り、一個1ドル前後と値段もお手ごろ。産地直送のアボカドが手に入る西海岸では、8割近い家庭でカリフォルニア産のアボカドが常食されている。
このアボカドが、最近、肥満対策に役立つ健康食品として注目を浴びだした。カリフォルニアアボカド協会の報告によると、アボカドは、ビタミンB6、C、E、免疫力を挙げるカリウム、貧血の特効薬である葉酸の含有率が高く、食物繊維が豊富で、含まれている脂肪の大半が、細胞の老化を防止し、コレステロール値を正常に保つ不飽和脂肪酸なのだという。
これまで、アメリカ人にとって、アボカドといえば、ワカモレと呼ばれるディップの材料と相場が決まっていた。薄緑の実をどろどろにつぶして、ざく切りトマト、みじん切りにんにく、たまねぎ、レモン汁と混ぜ合わせたワカモレは、とうもろこしの粉でできたチップス、ビールとともに、人が集まり盛り上がるパーティーに欠かせない定番メニューのなっている。5月下旬のメモリアルデー(戦没将兵記念日)、7月4日の独立記念日、9月上旬のレーバーデー(労働者の日)、そして、米国スポーツ界最大のイベント、スーパーボールが開催される日の前後数週間ともなると、フットボール会場に3メールの深さでディップが作れるほどのアボカドが消費されるのだ。
とはいえ、いくらアボカドが体にいいといっても、いつもいつもワカモレを食べているわけにはいかない。そこで、同協会は、一本の木に400個近い実をつけるアボカドは、野菜でなく、果物といったクイズでアボカドに対する一般の興味関心をひきつけながら、アボカドの新しい食べ方、使い方の情報提供を始めた。
公募されたレシピを見ると、サラダ、ピザ、パスタ、オムレツ、スープ、デザート各種から、離乳食、糖尿病の食事療法に至るまで、様々なメニューが並んでいる。
もっとも、どのレシピにも、アボカドのほかに、卵や砂糖、バター、クリームが大量に使われており、せっかくの栄養価も帳消しになるのではないかという印象を受ける。
食べていいものは、お肌にもいいはずというわけで、肌の弱い人やアレルギーのある人は要注意としたうえで、アボカドを使った家庭でできるスパのやり方も紹介されているのだが、こちらも、中身は実にこってり。卵黄とミルクをまぜて顔パック、卵白とオートミールを混ぜて手のパック、食べれば毒の芯を半分に切って、中の油脂で顔のマッサージといった具合なのである。
食べるにせよ、つけるにせよ、作り方は、いずれも、混ぜるだけ、焼くだけの手軽なものがほとんど。果たしてアメリカ人は本当に減量に成功するのだろうか。

 

「アメリカの強いオバサンたち」 あんなこと、こんなこと 2004年3月7日

湾岸沿いの道を、中学生くらいの男子4人が歩いていました。一人は、緑に染めた髪をとさかのように15センチ近く盛り上げていました。
ふとそのとさか君が、かばんから紙くずを取り出し、水の中に、ポイ。
あらまあ、と思っていたら、ジョギング中の中年女性が、4人の前に立ちはだから何か問答しています。
ごみを捨てるのはよくないわ。
僕じゃないよ。
誰が投げたか問題じゃないわ。あなたたちは、一緒にいたんだから、全員に責任があるのよ。
とさか頭の青年グループの前に一人で立ちはだかるだけでもたいした勇気のところに、言い返されても、ひるむことなく、全員に責任を喚起するその女性のたくましさ。
私にあんなことができるだろうかと思うと、走り去っていくその女性にますます感動してしまいました。
そして、もうひとつ面白かったのが、とさか頭のグループの反応。中年女性に叱られて、なんとなく腐った風になったものの、けんかを売るわけでもなく、そのまま4人で歩いていってしまったのです。
所詮、頭が緑でも、青年は青年。つっぱったところで、心はまだまだ大人に叱られてしょぼくれる子供なのだと思ったら、これまた新鮮な気持ちになりました。
青少年の非行は、アメリカが本場ではあるけれど、こんな光景を目の当たりにすると、まだまだ捨てたものではないと思います。

 

「賛否両論の避妊薬解禁」  婦人公論海外女性通信掲載 2004年2月22日 

セックス直後に服用する避妊薬が、アメリカで本格的に解禁となりそうだ。ちまたは、賛否両論を交えて、モーニングアフターピル、別称プランBと呼ばれるこの避妊薬の話題でもちきり。「どう思う?」と水を向けようものなら、老いも若きも、男も女も、堰を切ったように自分の意見をしゃべりだす。
「コンドームは破れることもあるから、避妊の選択肢は多い方がいいよ」(26歳男性)、「避妊薬の普及は、性のモラル低下の直接的原因にはならないわ」(60歳女性)、「一回30ドルもする薬をセックスするたびに買いにいくことはないけれど、転ばぬ先の杖としてはあった方がいいと思う」(19歳女性)といった具合。
実は、この避妊薬、1999年から、医者の処方箋があれば、買えるようになっていた。製造元の発表によると、これまでに、約2百4十万人の米女性がプランBを利用しており、薬の安全性も確認されている。にもかかわらず、その利用率が、市販のコンドームとは比べ物にならないほど低かったのは、大統領を筆頭とするアメリカの堕胎(中絶)反対派の頑なな姿勢があったから。
その「幻(まぼろし)の避妊薬」ともいえるプランBを今、一般の薬局でも買えるようにしようとしている背景には、より早く、しかも低コストで、女性に薬を提供することで、年間5万2千件に上る中絶を減らし、関連医療コストを下げようという狙いがある。
なにしろ、プランBは、服用が早ければ早いほど効果が挙がる避妊薬だ。セックス後72時間以内に服用すれば、排卵周期であっても、妊娠の成立は100例に1例、24時間以内に服用した場合は、わずか0.4例。「排卵がなければ妊娠は成立しない」という考えに基ずく合成ホルモン剤、プランBが、卵巣からの排卵を遅らせ、受精を未然に防ぐからである。
専門家は、プランBが、受精卵を殺傷する薬ではないことを強調している。だが、堕胎(中絶)反対派は、依然として、「たとえ受精していなくても、生命の発端を破壊する行為は、殺人にほかならない」、「性のモラルがこれ以上低下すさせるわけにはいかない」、「病気、とりわけAIDSの蔓延に拍車をかけることになる」と鼻息が荒い。
精神的、経済的に準備が整っていない女性の出産は、生まれる子供にとっても、母親になる女性にとっても過酷な試練となりうる。二歳の息子を持つ私は、今回の論争をきっかけに、望まない妊娠はなぜ避ける必要があるのか、具体的にどうすれば避妊できるのかという知識とノウハウを息子にしっかり教えようという気持ちを新たにした。さて、FDA(米食品医薬会)は、最終的にどんな結論をくだすのだろうか。避妊薬普及をめぐる議論は、当分、続くことになりそうだ。

 

「ここまできたペット医療」 婦人公論海外女性通信掲載 2003年11月22日

サンフランシスコの町を歩いていると、迷い猫の張り紙をしょっちゅう見かける。猫の写真はもちろん、数万円の賞金を提供しているものなど、飼い主の思い入れが現れる張り紙も少なくない。犬、猫は、ペット(愛玩動物)を超えた家族の一員といっていい。
もっとも、アメリカ人の犬、猫に対する接し方は、日本の「猫かわいがり」と少々趣を異にする。
放し飼いの猫には、まず避妊手術を施し、各種予防接種および、最低、年一回の定期健診を受けさせる。獣医のオフィスでは、体調が優れないペットのためのカイロプラクティクや針、カウンセリングの情報も入手可能だ。
満月の夜に拾ったからムーンと名づけた我が家の白黒猫も、日本からはるばる渡米した7年前、猫のためのカウンセリングを受けたことがある。ところかまわず家の中にマーキングするようになったからだ。電話の向こうの女性は、まず、クレジットカードの番号をきき、猫の姿形に関する問診を始め、こちらの家庭事情、最近の変化に至るまで事細かに質問してきた。あっという間に時間が過ぎて、値段はしめて95ドル。手痛い出費だったが、ムーンが直面していた環境の変化に飼い主を気づかせるだけの効果は十分あったように思う。
動物に対する医療体制の充実ぶりも特筆に値する。動物病院は、完全な予約制で、休日及び夜間専門の救急病院もある。獣医は、飼い主の質問にたっぷりと時間をかけて答えてくれるし、飼い主に対するインフォームドコンセントも徹底している。もし、獣医の診断、治療方針が気に入らなければ、たとえ治療中であっても、飼い主が、ほかの獣医のドアをたたくことも珍しくない。動物病院もこうした状況に慣れているらしく、古い病院に電話して、これまでの医療記録を新しい病院にFAXで送ってくれるよう頼むと、一つ返事で、転医手続きをしてくれる。信頼関係を築ける獣医を探すのは、家族の健康を守る飼い主の義務であり、権利であるというわけだ。
そんなアメリカで、14歳の誕生日を前に、ムーンが、猫には稀な悪性腫瘍の疑いがあると診断された。手術をしても助かる見込みは10%、手術しなければ、数週間後には永眠(薬殺)させることになるという。寝耳に水の話に、あふれ出た涙をぬぐおうとすると、すかさずティッシュが差し出され、獣医が、「辛いことです」といいながら私の手をぎゅっと握り締めてくれた。
痛みは緩和するもの、動物は、苦しませず永眠させるものというのが、アメリカでは常識だ。それでも、できることならば、寿命をまっとうさせてやりたいと思う私の気持ちを説明すると、獣医は、大きくうなずき、それ以降、電話一本で、抗生物質の追加や痛み止めの処方をしてくれている。おかげでムーンは今のところ小康状態を保っているようだ。
犬は犬小屋、猫はコタツの中で丸くなっているものと思っていた私も、飼い主の心のケアも怠らないアメリカのペット医療を体験するにつれ、泥足の犬や猫が、土足の飼い主と一緒に、家の中を歩き回る光景を見ても、それなりに納得できるようになってきた。

 

「タバコ税で育児支援を」 婦人公論海外女性通信掲載  2003年9月22日

アメリカの病院で出産すると、通常、二晩で退院の運びとなる。頼めば授乳の介助くらいはしてくれるが、日本のような育児指導はない。だから、サンフランシスコのように核家族が多く、身近に子育ての知恵を貸してくれる人がいないところでママになると大変だ。産後の体の回復もままならないうちから、授乳のしかた、寝かせかた、お風呂の入れかたにいたるまで、試行錯誤で新生児の世話をしなければならないからだ。初めての育児が苦痛になるか楽しみになるかの分かれ目は、慢性的睡眠不足と頻繁授乳で正気の沙汰が失われそうになったとき、誰か一人でも、周りに親身になってくれる人がいるかどうかだと私は思う。
その誰かに、豊富な知識と経験を持つ保健師がなってくれるという夢のような企画が、このほどカリフォルニアで実現した。資金のでどころは、年間6億ドルに上るカリフォルニア州の煙草税。ベイエリアの家庭訪問プロジェクトに運用されるのは、1千8百万ドルだ。
禁煙キャンペーンの徹底と一箱700円近い煙草の値段があいまって、喫煙者は、年々減少中。インターネットで無税、ディスカウントの煙草を購入する人も増えているため、煙草税は、先細りの運命にあるといっていい。それでも、基金を手にした公共衛生局(various public health departments)は、家庭訪問の充実に余念がない。
アメリカの出生率は、2000年現在で2.1人。日本の少子化とは無縁の安定ぶりを示している。人口80万人のサンフランシスコでも、年間平均8千人の子供が生まれており、子供のための施設や遊び場、催し物には事欠かない。だが、移民や低所得者層の中には、保険がなかったり、公共サービスの利用のしかたを知らない人もいる。そんな人にも、質の高い育児を実現してもらいたい。それが、家庭訪問の当面の目標だ。
いい親になりたいという願いを持っていても、喫煙が乳児にどういう影響を与えるかを知らなければ、乳児の周りで煙草を吸い続け、突然死の危険性を高めることになりかねない。そんな風に、家の中を見れば一目瞭然の育児のよしあしをその場で指摘できるのが、家庭訪問の最大のメリットだ。
どんな風に育てられたかが、大人になってからの生活習慣に大きな影響を与える。親に見離されて育った子供は、5歳までに健康的な生活習慣を身につけた子供に比べ、社会福祉、裁判所、刑務所などの世話になる確率が高く、納税者の負担を8万8千433ドル増やす。幼児期の予防注射代1ドルにつき、大人になってからの入院、治療費10ドルの節約ができるといった裏づけ調査もあるほどだ。
それだけに、保健師による家庭訪問の意義は大きい。窓口に出向くのと違って保健師に対する親近感がもてるし、地域社会に支えられているのだという実感も得られるといった具合で、新米ママの間でも家庭訪問の評判は、上々だ。
プロジェクトが軌道に乗った暁には、出産直後のすべての母親が家庭訪問を受けられるようになるという。こんなサービスがあるのなら、ぜひ受けたかったものだと出産当時を振り返って思う次第なのである。

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