ホーム  | カウンセリング  | 連載 |  出版物よくある質問 |  セミナー  |  リンク  | 鶴田育子  | English 

もはや名物! ロスの大渋滞」 婦人公論 2008年

ロサンゼルスは、徹底した車社会だ。通勤はもちろん、子供の学校の送り迎えも買い物も、車なしでは、身動きがとれない。公共交通機関はあるにはあるが、完備されていないため、駅まで行くのに車が必要になってくる。
一家庭に車は最低二台。用途に合わせて違う種類の車を揃えている家庭も珍しくない。おかげで、道路は、年々渋滞する一方だ。例えば、UCLAからディズニーランドまでは、空いていれば五0分、混んでいれば二時間二〇分。ダウンタウンで働く私の夫は、二0分で着く距離を毎日、四五分かけて通っている。
それだけ長い間、車の中に閉じ込められていると、人は、ありとあらゆることをするものだ。携帯電話での会話はもちろん、飲んだり食べたり、化粧をしたり。ミルク入りのコーンフレークをさじで食べている人を見たときは、さすがに驚いた。
渋滞にうんざりしているロサンゼルスっ子は、だから、少しでも、車が動くと、徹底的に速度を上げる。黄色は、突進。前の車の発進が少しでも遅れれば、間髪いれずクラクションが鳴り響き、罵倒の声があがることもしばしばだ。高速道路は、片道六車線が普通なので、出入口付近ともなると、目が回るほどの勢いで、車が右に左に交差する。車線変更は、ほとんど命がけといっていい。そんな道路事情ではあるが、ロサンゼルスで、運転が苦手という人にお目にかかったことはない。セレブが集まるビバリーヒルズの夕暮れどきには、グラビアから抜け出たような美男美女が、超高級車の中で数珠なりになっている。ドアツードアで行きたいところに行け、眩しいばかりの太陽が、連日、降り注ぐカリフォルニアで、人々は、渋滞をものともせずに、生きているというわけだ。

「下降する結婚率」 婦人公論 2007年10月

「プリンスチャーミングにめぐり合い、一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」。そんなシナリオが、今、アメリカで、完全に御伽噺だけの世界になった。年々、増加している「配偶者のいない女性」の割合が、2005年の国勢調査で、過半数を超えたのだ。
もっとも、「配偶者のいない女性」は、結婚に縛られず、自由を満喫している人ばかりとは限らない。結婚したいが相手がいない、離婚した、死別した、子どもはいるが、子どもの父親と入籍していない、結婚しているが別居しているなど、配偶者のいない女性たちの事情は、様々だ。
大学職員のエレンさんは、40歳の誕生日を機に、ローンでマンションを購入した。「この年になると、離婚歴のない相手を見つけるのは至難の業。たまにいても、結婚に踏み切る気がない人ばかり」とため息をつく。
結婚が王道でなくなった社会では、家庭を持っていない女性に対する偏見が少ない。女性が、働いているのは当たり前という感覚も一般的になっている。だが、同時に、結婚という社会的責任を放棄する男性も、容認するのである。出産年齢というプレッシャーがない男性は、デートの相手さえいれば、毎月、収入の大半をつぎ込まなければならない結婚にそれほど魅力を感じない。
かつてアメリカにもあった玉の輿も、今では過去の産物になっている。高学歴、高収入の男性が、一人暮らしよりさらに贅沢な生活ができる結婚を望むため、必然、相手も高学歴、高収入の女性になるからだ。家庭では、知的会話を楽しみ、家事育児は、当然のごとく夫婦で分担するので、永久就職感覚で結婚しても、家計費の負担は、しっかり要求される。しかも、アメリカの離婚率は50%。結婚したからといって、おちおち気を許してもいられない。
女性の生き方がますます多様化するアメリカでは、配偶者がいても、いなくても、一人で生きられるだけの自立した精神と経済力が、不可欠というわけだ。

「新しい一年の始まり」 月刊もん 2007年1月

明けましておめでとうございます。皆様、どんなお正月をお迎えになりましたか。
私は、子どもを連れて実家へ帰省してきました。
結婚以来、年末年始は、必ず夫と一緒に過ごしていたので、日程を決めるまでかなり迷いましたが、10年以上会っていないドイツ在住の姉が、久しぶりに帰省するということもあり、夫の家族とクリスマスを過ごした二日後、高い飛行機代を払って、年末年始の混雑をものともせず、一世一代の親孝行のつもりで、海を越えました。
考えてみると、私の原家族が、最後に、揃ってお正月を迎えたのは、私が、ジャーナリスト活動の拠点としていたバンコクでのことでしたから、ちょうど20年前になります。場所が実家となると、さて、何十年ぶりになるのでしょうか。
それでも、元旦の朝、父が、「年の初め」を歌ったり、小さな朱色の杯を家族で回してお屠蘇を飲んだりしたことはよく覚えています。
今年は、そこに若干一名加わって、三世代勢ぞろいとなったので、父の喜びようは半端ではありませんでした。実家から空港まで車で片道90分、往復3時間の道のりを2回でも3回でも娘たちのためなら運転すると意気込み、久しぶりに会う孫のために、新しくできたおもちゃ屋を何度も下見して、ここ数年、パック入りですませていたお鏡もちを餅屋にわざわざ搗かせたほどでした。
父は、5年前に大手術をしてめっきり白髪が増えましたが、長年ゴルフをやっているので、足腰は比較的丈夫です。それでも、数ヶ月前に、よろけて転び、歯が欠けるほどの大怪我をしました。加えて椎間板ヘルニア、胆石という爆弾も抱えています。一方、母は母で、あっちが痛い、こっちが痛いと年中医者通いが止められず、好きな碁を指す暇もないほど。今度、いつ家族全員が顔を合わせられるかと考えると、「また、今度」といっても、今度が来るかどうかさえわかりません。
一年の計は元旦にありといいますが、年月を重ねたそれぞれの顔を見ていると、今年の正月ほど、「今できることは、先延ばしせず、実行する」ということの大切さを肝に銘じたことはありませんでした。
おじいちゃんとおばあちゃんのいる日本に戻った息子は、まるで、ずっとそこに住んでいたように日本を満喫。サンフランシスコに戻ったら戻ったで、冬休み明けの学校に、「いってきます!」と手を振って、勢いよく駆け込んでいきました。
息子ももうすぐ5歳半。下の歯がぐらぐらしはじめ、言うこともすることも、すっかり少年らしくなっています。
月日のたつのは、早いもの。家族をテーマに書かせていただいた月刊「もん」の連載も、早いもので丸2年となりました。そろそろこのあたりで、いったん休筆。また、いつかご縁があったら、どこかでお目にかかりましょう。
今年が、充実した一年になりますように。皆様のご多幸を心より願っています。
2007年吉日 

「暑い日は、市電がただになる」 あんなこと、こんなこと 2006年7月22日

今日は、子どもの遠足で水族館へ行ってきました。サンフランシスコ市内を走っている路面電車に乗ると、なぜか、料金箱にビニール袋がかけてあります。ときどき、料金箱が壊れてお客をただ乗りさせることがあるので、今日もそれかなと思っていたら、サンフランシスコでは、暑い日に、市電の料金がただになるとのこと。公共の乗り物を奨励し、車で出歩く人の数を減らし、気温の上昇を押さえようというわけです。浮いた3ドルで、遠足の帰りに、子どもをメリーゴーランドに乗せてやりました。サンフランシスコも、たまにはいいことをするものです。

「グリーンカードの更新」 あんなこと、こんなこと 2006年7月4日

今日は、7月4日です。アメリカの独立記念日であり、私たちが、日本から渡米してきた記念日でもあります。
奇しくも、更新手続きをしていたグリーンカードも、昨日の郵便で到着しました。また、新しい10年が始まるわけです。
永住権といいながら、10年ごとに更新が必要で、グリーンカードといいながら、実際には、灰色がかったピンクであるPermanent Residence Card は、オンラインで申請できます。http://www.uscis.gov/graphics/formsfee/forms/i-90.htm
10年前は、えらく面倒な手続きが必要だった記憶があるので覚悟していたのですが、実際には、申請手続きをして、数週間後に地元の移民局への出頭日程を記した手紙が舞い込み、移民局に出向いて指紋と顔写真を撮った数週間後には、カード発行の手続き中ですというお知らせが来て、それから、まもなく、実物が届きました。永住権の更新は、あくまで、在米者の個人情報を最近のものに更新するのが目的のようです。
それにしても、もう10年とは。
日本で7年一緒に暮らし、はるばるアメリカまで一緒にやってきた白黒猫のムーンは、アメリカ暮らし7年目で、すでに他界しました。前後して長男が誕生し、今は、8歳になるアメリカ生まれの三毛猫アメと、今年の春、養子にやってきた真っ黒い子猫のヤマの人間3人、猫2匹、または、男3、女2の構成で日々を重ねています。
振り返ると、実にいろいろなシーンが蘇りますが、今朝は、子どもと一緒に、クランベリーの入ったマフィンを焼き、家族で馴染みの飲茶を食べに行くという穏やかな一日を迎えることができました。
さて、どんな10年がこれから始まるでしょうか。

 

「アメリカ人が傘を指さない理由」 あんなこと、こんなこと 2006年4月11日

サンフランシスコは、今日も雨です。
雨の間に、晴れ間が顔を出すという日が、もう何ヶ月も続いています。
なのに、こっちの人は、どんなどしゃぶりであっても、傘をささない。
その理由が、連日の雨で、やっと理解できました。

こちらでは、いわゆるこうもり傘が、10$程度で買えます。でも、風が、一吹きすると、傘が裏返しになり、骨が一気に2、3本折れてしまうのです。
ここ数ヶ月の間に、買っては骨が折れ、買っては骨が折れ、という体験を繰り返し、さすがの私も、とうとう、こちらの人が、なぜ、雨の日は、防水コートと決めているのかが、実感としてわかりました。
家に入るとき、そこらへんびしょびしょになるのではないかというのも、また杞憂。なにしろ、居住空間には関しては、日本の比較ではないので、広々とした家のポーチあたりでコートを脱ぎ、シャッと一振り、水気を払えばすむのです。
こちらの防水コートは、傘と違って俄然、質が高いので、たった一振りで、コートの上の水分が、ほとんどきれいに振り払える。

なるほどなあ、郷に入っては、郷に従え。近々、防水コートを買おうかと思っています。(きっと、買ったら雨がやむんでしょうけどね)

 

「アメリカで身につける自己防衛」 あんなこと、こんなこと 2005年10月12日

今私が働いている大学で、学生・職員を対象にした無料の自己防衛クラスが開催されました。参加定員は、25名。前回、自己防衛のクラスに参加したのは渡米当初の10年前、明日から毎週水曜日は、夜7時までの勤務となることも考慮して、夜6時から8時までのクラスに参加してきました。
指導員は、元軍人だったり、警察官だったという大学のpublic safety のスタッフです。参加者は、男性が3人、あとは全員が、20代の女子学生。でも、指導員の説明によると、自己防衛は、男性にこそ必要な実技なのだとか。女性が遭う被害は、財布やバックパックの脅迫盗難が多いのに対し、男性の被害は、暴力沙汰になるケースが多く、自己防衛の実技のあるなしが被害の大きさを左右することになるからだそうです。
それにしても、怪我をしないように、ストレッチから始めますというなり、ジャンプしながら両手を頭の上で叩くジャンピングジャックが30回も始まったときには驚きました。その後の二時間は、デモンストレーションと実践の連続で、家に戻ったときには、すでに筋肉痛。ふとんにつくと、夢か現か、脳が実践の復習をはじめ、頭が興奮状態から完全に冷めきらないまま、結局、夜中の3時過ぎに目が覚めてしまいました。
でも、気分は、爽快です。
自分で自分を守る方法を身につけるというのは、やっぱり自信につながりますね。
240ポンド(110キロ)ある黒人の指導員が、実践で、小柄な女子学生を羽交い絞めにする様子をみたときは、自己防衛とはまさに生死をかけた真剣勝負なのだと怖くなりましたが、気を取り直して、「私は、ワンダーウーマンなのだ。これは、チャーリーエンジェルのオーディションなのだ」と自己暗示をかけると、不思議と大勢の前で私の番がきても、緊張することがありませんでした。
2時間の実技を通して実感したのは、自己防衛の基本が、精神力にあるということです。誰かに不意打ちを食らわされたとき、「アレー、助けてー」と思ったらもうその時点で負け。指導員も、何度も言っていましたが、「Don’t give up!」絶対に諦めてはいけない。抵抗をやめるのは、気絶したときだけだと。
襲い掛かってくる相手と自分は対等な人間です。襲われたからといって、自動的に、自分を被害者・弱者にすることはないのです。こちらの尊厳を蹂躙する相手に対して、「冗談じゃないよ。甘く見ないで!」と気力で立ち向かう。襲撃というのは、たいてい1分でかたがつくそうです。長くても4−5分。その間に、全力で相手の暴力のスキをつき、逃げる瞬間をつくるのが、自己防衛というわけです。
10年前は、そんなトレーニングに、震え上がったものでした。アメリカとはなんと恐ろしいところだろう。こんな実技を身につけなければならないほど、危険なところなんだと。
でも、今は違います。そんな不幸に遭遇しないことを願わずにはいられない。でも、万一のことが起こったら、それはそれで何とかできる自分がいる。そう思えるために、実践を身につけられる機会を無料で得られるんだから、大学で働くメリットって大きいなと思えるようになっているからです。
帰りの車の中で、暗い夜道を運転しながら、実技のあとでもらった笛を吹いてみました。
何度か吹いていると、気持ちが明るくなってきました。私は、絶対、自分のことを守ってみせる。大丈夫よ。任せておいて。自分にそういっている自分の声が聞こえるようでした。

 

「カラフル壁に 意外な歴史」婦人公論海外女性通信掲載 2005年9月7日

サンフランシスコの街並みはマッチ箱を並べたように家と家とが密着しており、緑、ピンク、黄色、青、紫など、あざやかな色で思い思いに「わが家」の個性を主張している。とりわけ、ビクトリア様式と呼ばれる家屋は外壁に入念な細工がほどこされ、美しい彩色が目を惹く。
知り合いのペンキ屋によると、市内にある家屋の8割近くが外壁にベージュ以外の色を使い、家の中は1部屋に平均3色、多いところで7、8色も使っているという。
ニューヨークやシカゴなど他の街では見られないこの独自性は、カリフォルニア半島で1846年から始まったゴールド・ラッシュに起源する。一夜にして大金持ちになった人々が、ゴチック、ルネサンス、トルコタワー、イタリアンなど、さまざまな様式で豪奢な住まいを建てたのが始まりだ。こうした栄華の象徴の多くは1906年の大地震で崩壊し、続く二度の世界大戦時には残された家屋も軍艦色に塗り替えられるが、60年代後半になって家の外壁をカラフルにする伝統が復活した。地震対策のために家々が隙間なくつながった街並みの中で、壁の色分けは、両隣の建物との境界を明確にする目的もあるという。
最近、わが家もサンフランシスカンの仲間入りをした。例年にないどしゃぶりで天窓から雨が流れ込み、湿った壁の塗り替えが必要になったのだ。飾りを取り去った壁はとにかく殺風景で、天井が高いので白い色では圧迫感がある。そこで、思いきって階段ホールをピーチ色に塗り替えてみた。
外はともかく、家の中までそんなにカラフルだったら気が散るのではないか? と思いきや、出来上がりは予想をはるかに超えて上々。雨降りの日も、ホールは夕焼けを見るように明るい。天窓から陽が差しこめば全体がピーチ色に輝き、気分が華やかになってくる。
配色数や部屋の広さにもよるが、壁の塗り替えは千ドル単位の大仕事。
それでも、いずれは部屋の壁をすべて違う色に塗り替えてもいいかな、と思えるほど、色の効果は絶大だった。

▲ページトップに戻る

 

もはや名物! ロスの大渋滞」 婦人公論 2008年

「下降する結婚率」 婦人公論 2007年

「新しい一年のはじまり」 月刊もん 2007年1月

「暑い日は、市電がただになる」 あんなこと、こんなこと 2006年7月22日

「グリーンカードの更新」 あんなこと、こんなこと 2006年7月4日

「アメリカ人が傘を指さない理由」 あんなこと、こんなこと 2006年4月11日

「アメリカで身につける自己防衛」 あんなこと、こんなこと 2005年10月12日

「カラフル壁に 意外な歴史」婦人公論海外女性通信掲載 2005年9月7日

→古い記事を読む


Copyright © 2002-2008 鶴田育子 Touch Your Soul
1917 1/2 Westwood Blvd. #4, Los Angeles, CA 90025 USA Tel. 310-254-0397
このサイトに関するご意見、御感想、お問い合わせは、ikuko@tsurutaikuko.com まで